巨大化する塾
子供4人を塾通いさせた。それぞれがそれぞれにあった塾を選び、通うことになったが、私が熱心に探した思い出は薄い。私はあまり教育熱心ではないので、子供たちが友達と無料体験学習をしてそのまま入塾していくことになったのだ。 中でも、長女は佐鳴に通ったが、今聞くと「頭がよくないと入れないところだよ」と言われる。しかし、ずば抜けてよい成績だったわけではないのだ。しかし、2人目、3人目が入塾するころには、塾に入るためにも勉強しなければならないような世界になってきたことに気づかされた。 4人目の時には、電話口に出た塾講師らしき女性が愛想悪く、成績はどの程度ですか、と聞いてきた。そしてうちの子の成績を告げると、うちではそれ以上の成績の生徒さんしか対応できません、と冷たく切られてしまった。塾が学校教育で科目の成績を上げるための補助的機関だと思っていた私は、その応答に衝撃を受け、二度とどこにも当たろうとは思わなかった。 おまけに、熟通いのためには親も送迎で大忙しだ。何しろ、周辺のあちこちで電気が消えていく時間帯でも、熟の窓の明かりは煌々とついている。 学校教育自体に今までと違う変化が起きない限り、こんな塾の巨大化がどんどん進むのだろうと、無関係者としてなった今、ただほっとしている。